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第9回 大和の巻桜ヶ丘地名の由来――小栗判官・照手姫ロマンスノンフィクション作家 戸崎 千吉 |
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相鉄線大和駅の南、小田急江ノ島線桜ヶ丘駅の東側に〈桜ヶ丘〉という地名が残っています。桜並木があって春には花見の名所になります。桜ヶ丘という地名は各地で見受けますが、大和市の場合は小栗判官(おぐりはんがん)と照手姫(てるてひめ)の伝説に由来(ゆらい)するものです。 ところで、小栗判官と照手姫の伝説は内容にいろいろ違いがあります。小栗判官を常陸国(ひたちのくに)の豪族小栗満重(みつしげ)とする話もあれば、満重の子の小次郎(こじろう)とする物語もあります。照手姫もお姫さまだったり、遊女(ゆうじょ)になったりで、実にさまざまですが、まず大和市の桜ヶ丘にまつわる筋立てから紹介しましょう。 応永(おうえい)29年(1422)のことです。鎌倉公方(かまくらくぼう)足利持氏(あしかがもちうじ)のために謀反の疑いをかけられた常陸国豪族小栗満重は、城を攻め落とされ、遠江国(とおとうみのくに)へ向かって脱出いたしました。 小栗満重の子の小次郎――すなわち小栗判官は、父親とは別の道筋をたどり、家来10人と共(とも)に相模国横山の館(やかた)へ来て盗賊の家とも知らず1泊することになりました。 小栗判官が持参してきた財宝に目を付けた盗賊は、主従に遊女を当てがって油断させ、酒に毒を盛って殺害しようといたしました。 ところが、遊女の一人・照天(しょうてん)は酌をしながら盗賊の奸計(かんけい)を小栗判官にそっと告げ、鬼鹿毛(おにかげ)と呼ぶ荒馬に乗せ逃がしました。 家来10人は毒の入った酒を飲んで命を落としてしまいましたが、小栗判官のみは照天の機転で遊行寺(ゆぎょうじ:藤沢市西富)に駆け込んで救われ、遊行上人に送られて満重の待つ遠江国に無事たどり着くことができたのです。 後日、遠江国から戻った小栗判官は盗賊一味を退治し、恩人の照天には財宝を贈って感謝の意を表しました。 ここでいう照天が照手姫で、彼女は小栗判官が病気で亡くなると剃髪(ていはつ)し、長照尼(ちょうしょうに)を名乗(の)って彼の冥福(めいふく)を祈ったということです。 大和市桜ヶ丘の地名の由来は、小栗判官が盗賊の屋敷から逃れて遊行寺に向かう途中、鬼鹿毛の鞍(くら)についた桜の小枝が落ちて根付き、みごとに花を咲かせたことにあるそうです。 小栗判官と照手姫のロマンスは歌舞伎(かぶき)でも取り上げておりまして、明治時代の半ばまで東の「曽我(そが)」、西の「小栗判官(おぐりはんがん)」が初春(はつはる)の吉例狂言(きちれいきょうげん)として演じられました。 先に紹介した小栗判官と照手姫のあらすじは、足利持氏によって小栗満重が城から追われた史実に基づいて、遊行上人が布教のための説話として全国に広めたものです。肝腎(かんじん)の部分はフィクションですが、史実を基にし、長照尼という実在の人物とも結び付いております。 ところが、歌舞伎狂言「小栗判官」になりますと、完全にフィクション化が進み、次のような筋立てに変わってまいります。 伯父(おじ)横山大膳(よこやまだいぜん)に父親を殺され、家宝の「勝鬨の轡(かちどきのくつわ)」や常陸国の領地の譲り状といっしょに囚(とら)われの身となった照手姫を救うため、許婚(いいなずけ)の小栗判官兼氏(かねうじ)は傾城(けいせい=遊女)に姿を変えて横山の館に乗り込みました。しかし、大膳はそれを見破り、荒馬を仕掛けるなどして危害を加えようとします。 小栗判官は大膳の妨害を次々に排除し、乗り越え、漁師波七(なみしち)らに助けられて逃げ延びた照手姫の行方を尋ね、美濃国(みののくに)で再会してのち熊野で遊行上人の護符に守られて本懐を遂げる、というものです。 いつの間にか小栗判官と照手姫の役回りが入れ代わったかと思えば、小栗判官が蛇と契ったり毒殺されて餓鬼(がき)の姿で蘇生(そせい)し流浪したりします。 曾我兄弟の仇(あだ)討ち、小栗判官と照手姫のロマンス、いずれも相模国で生まれた話です。それなのに江戸では「曽我」、上方(かみがた)では「小栗判官」で春芝居を開けるようになりました。遊行上人の布教がいかに上方にまで強く及んでいたか、という事実の現れとみてよいでしょう。 藤沢にある遊行寺の長生院(ちょうせいいん)は照手姫の中興(ちゅうこう)の寺で、境内に小栗判官と10人の家来の墓があります。遊行寺から西の俣野(またの)にかけての地域にも、小栗判官と照手姫にちなむ遺蹟(いせき)が幾つか残っております。相模原市横山は盗賊の屋敷があった場所です。 大和市の桜ヶ丘は小栗判官と照手姫の出会いと危難の場が救済の場に移る途中に位置するわけで、急な場面転換にもかかわらず、さりげなく桜の小枝を落とし、後に花を咲かせるとは実に憎い演出ではありませんか。 今回はこれまで……。
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