第17回 平沼橋の巻

曾我(そが)兄弟の仇(あだ)討ち外伝―
御所(ごしょ)五郎丸のこと

ノンフィクション作家 戸崎 千吉  

 

 相鉄線平沼橋駅から国道1号線を横断して戸部に向かってしばらく歩き、左折すると、御所五郎丸の墓と伝わる史跡があります。所在地一帯は御所山といい、五郎丸はその地名のもとになった人物です。

 御所五郎丸は鎌倉時代初期に当地の領主であった人物とされますが、実在しないという説もあります。それだけに出典によっては五郎丸が善玉になったり、悪玉として描かれたり致しております。

 以上のことをお断りしたうえで、地元の意向を尊重し、善玉として紹介することに致します。あるいは五郎丸は実在しないとする説もあるわけですから、すでにご存じの方も、「わたしの読んだ話と違う」などとはおっしゃらず、あくまでも歴史ロマンとしてお楽しみいただきたいと存じます。

 時は建久(けんきゅう)4年(1193)5月28日の夜、場所は源頼朝(よりとも)が大巻狩(おおまきがり)を催す富士の裾(すそ)野でした。曾我十郎祐成(すけなり)と五郎時致(ときむね)の兄弟は、畠山重忠の家来と偽って広大な富士野に潜入致しましたが、どこが亡き父・河津三郎祐泰(すけやす)の憎き敵(かたき)・工藤左衛門尉祐経(さえもんのじょうすけつね)の宿所か見当もつきません。

 ここかあそこかと探すうちに、とうとう通りかかった一人の武士に見咎(とが)められてしまいました。

 「いずこへ参られるか」 

 通りすがりに曾我兄弟に声をかけたのが、実は御所五郎丸でした。

 兄の十郎が答えました。

 「われらは畠山が手の者、工藤左衛門尉殿の宿所へ参る」

 工藤祐経が敵を持つ身であることは多くの者が知るところでした。五郎丸は二人が曾我兄弟であることを承知のうえで指差(さ)しました。

 

 「左衛門尉殿のご宿所はそこじゃ。朝のうちの雨で地面が滑りやすくなっておるで、用心して参られよ」

 曾我兄弟は心の中で立ち去って行く五郎丸の背中に手を合わせ、目と目を見交わしました。

 「五郎。目ざすは工藤祐経一人のみ。女、雑兵には手を出すでないぞ」

 「確(しか)と承ってござる」

 兄弟は刀を抜き放つや力に任せて雨戸を蹴(け)破り、突入しました。このとき稲妻が走り、酒に酔いしれて熟睡する祐経の寝顔を照らしました。

 「五郎、ぬかるな」

 十郎は弟に声をかけると同時に、祐経の枕(まくら)を蹴飛ばし、堂々と名乗(の)りを上げました。

 「河津三郎が忘れ形見、十郎祐成。推参!」

 「同じく五郎時致。覚悟!」

 兄弟の刃(やいば)は祐経の胸板を正確に刺し貫きました。

 「やあやあ、仮屋(かりや)の方々に物申さん。河津三郎祐泰が忘れ形見、兄の十郎祐成、弟の五郎時致、亡き父の敵・工藤祐経を討ち取ったり!」

 かくして曾我兄弟は呆気(あっけ)なく仇討ち本懐を遂げたわけですが、宿所の中は大騒ぎ、外には大勢の武士が抜刀して殺到しました。

 血路を開くべく弟に先立って飛び出した兄の十郎は何人かを倒し、大勢を負傷させましたが、多勢に無勢でたちまち討ち取られてしまいました。

 かくなるからにはそれがしもと、十郎の後に続こうとする五郎に女の着物をかぶった武士が素早(すばや)く近づいたかと思うと、そっと声をかけました。

 「見逃そうとは思うにも人が多すぎるでな。御免!」

 武士は女と見て五郎が油断する隙(すき)を衝いて刀を叩(たた)き落とし、たちまち彼を取り押さえてしまいました。

 だれかと思って五郎が相手の顔を見ると、最前、工藤祐経の宿所を教えてくれた武士ではありませんか。

 五郎丸は噛(か)んで含めるようにして五郎にいい聞かせました。

 「死んでしまったらそれまで。わずかながらでも生き長らえて、長年の宿意を将軍に申し開きしてはどうか」

 五郎は名誉の縄目を受けながら、五郎丸の武士の情けに涙を浮かべ、感謝の言葉(ことば)を伝えました。

 以上が世に知られる「曾我兄弟の仇討ち」に登場する御所五郎丸です。地元の人々の伝承ですから、出典は明らかではありません。

 なお、ついでに申しあげておきますと、物の本によっては五郎丸は女の着物をかぶって兄弟に近づき、五郎をからめ取っただけの役どころとなっております。

 地元には御所五郎丸のその人となりと徳を讃(たた)える「五郎丸会」という史跡保存会があり、墓前で祭事を催していると聞き及びます。

 歴史ロマンとしてはどちらを取るべきか、答えはあらためて申しあげる必要はないと存じます。

 今回はこれまで…。

 

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