特集 祭りだ、祭りだ


◆噴き上がる火柱。炸裂する火花。
半端じゃない熱さを制する男の心意気
 抱きかかえて放揚する勇壮な手筒花火・豊橋祇園祭

   豊橋祇園祭奉賛会常任理事 酒井 数美

◆祭りの匠、「手作り子どもみこし」を手がけて

   (社)日本DIY協会シニアアドバイザー 西沢 正人

◆祭りがわたしを育ててくれた。
 仕事の肥やしに、そして人生を豊かに

   講談師 神田 陽子

◆相鉄線周辺の夏祭り

   トラベルライター 山岸 清実

 


相鉄沿線時代物語17・・・・平沼橋の巻
ぶらり寄り道!沿線スポット・・・・平沼橋
ご存じですか?・・・・ だんだん短くなっている所要時間
今宵の肴17・・・・アジとトマトのタルタル仕立て


 

祭りがわたしを育ててくれた。
仕事の肥やしに、そして人生を豊かに

 

講談師 神田 陽子

 

 

 

 

祭り好きは幼児体験から

 わたしは、祭りと聞くと血が騒ぐたち。祭りがあるというと、時には仕事より祭り優先で、北は北海道、南は沖縄まで行ってしまうという根っからの祭り好きです。この2月末から3月に掛けて仕事が空いたので、リオのカーニバルにまで行ってしまいました。

 わたしの祭り好きは子どものころの体験から来ているのだと思います。育ったのが東京・中野区の、昔は天神町、現在は中野5丁目という所です。家のすぐそばに天神さんがあって、夏には子どもの祭りが行われました。その祭りで、もの心が付くころには山車を引いたり、乗せられたりしていました。小学生になると、子供みこしを担いだりもしました。

 わたしは一人っ子でして、父が早くに亡くなったために母は実家に戻り、祖母との3人暮らしでした。それで、全く知らないことや場所に接してたくましく育つようにと、小さいころから祭りに出されたのかもしれません。わたしとしては、山車を引いたり、みこしを担いだりすること自体も楽しかったのですが、ごほうびにお菓子や飲み物がもらえて、子ども心にはそれがとてもうれしかったのです。

 大人になってからは、祭りに参加してのめり込むのが楽しみになりました。祭りは、その場に行って夢中になって時間が過ぎちゃった、というのがいちばんのエンジョイ法。「踊るあほうに見るあほう、同じあほなら踊らにゃそんそん」という阿波(あわ)踊りのことばがありますが、文字どおり祭りは見ているだけではつまらないものです。祭りは非日常の異次元の世界。そこには異様なエネルギーが充満し、さまざまな人間模様が描き出されます。それを体験したり、観察するのが、極上の時の過ごし方ではないかと思っています。

 

祭りに参加するには少しだけ、ずうずうしく!

 祭りに参加するといっても、ただぶらっと行くだけでは参加することはできません。たいていは町内会の半纏(はんてん)や浴衣などを着ていないとダメ。それで、借りるつてを頼ってお願いしてということになります。でも全国どこにでもつてがあるわけではないので、例えば徳島の阿波踊りに行こうと思い立つと、友人や知人、仕事仲間などに「徳島に親せきや知人のいる人、いない?」と声を掛ける。だれかいればその人から連絡を入れてもらって参加してしまうという、そのくらいずうずうしくないと、祭りを楽しむことができません。

 最近はわたしが祭り好きだと知れ渡り、どこどこの祭りに行きたいなと言っていると、是非来てくださいと祭りの主催者側からお誘いが掛かることもあります。青森のねぶた祭りがそうでした。頭(かしら)の着る長半纏を借り、ねぶたの後に付いて「ラッセ、ラッセ」と掛け声を上げ、思う存分跳ねました。

 長半纏では貴重な経験をしたことがあります。東京・浅草の三社祭(さんじゃまつり)は知り合いもたくさんいて毎年のように行っていますが、ある年、老舗(しにせ)の割烹(かっぽう)店から店に2枚しか無いという頭の長半纏を借りたことがありました。それで、観音様の参道の入り口で、長半纏を着た人たちが円になって、酒を酌み交わす集いに、そこの女将(おかみ)さんといっしょに参加したのです。それは、両手で支えなくてはならないような大杯に一升瓶で酒が注がれ、それを飲み干して隣の人に渡していくという回し飲みの集いでした。そこでは、酒を注ぐ人にその都度ご祝儀を渡さなければならないのです。総勢10人もいないので、あっという間に順番が回ってきました。いくら酒が嫌いなほうではないわたしも、3回目を飲み干したときにはべろべろになってしまいました。

 伝統のある祭りにはしっかりとピラミッド式の組織体制があり、上に立つ者の作法というのがあるんです。このときはそれを経験させてもらったというわけです。よそ者のわたしがこのようなことを毎年経験しようと思ってもできませんから、1回だけでもいい思いをさせてもらえて満足でした。

 

講釈師、見てきたうえでうそをつきたい!

 わたしの仕事は人を楽しませる仕事ですから、まずは自分が楽しんでいないとお客様を楽しませられないということがあります。また、ネタの中に祭りの描写があるとき、祭りを実際に見ているかいないかでは臨場感の表現に違いが出てきます。ですから、時間と経済的なものが許せば、できる限り自分のために祭りを見たいし、経験したいと思っています。

 「講釈師、見てきたようなうそをつき」と言いますが、わたしの場合は「講釈師、見てきたうえでうそをつく」でいきたいと思っています。怪談噺(ばなし)で、「亀戸(かめいど)の臥龍梅(がりゅうばい)を見物した帰りがけに…」という下りがありますが、この梅は一体どんな梅なんだろうと調べるわけです。そうすると江戸時代に金持ちの呉服商の別荘「亀戸梅屋敷」にあった龍(りゅう)がうずくまり、伏せたような形をした梅の名木ということが分かり、更に亀戸天神には梅の花を境内に御幸(ごこう)する名物の祭りがあることも分かってきます。それで、亀戸天神の祭りに行ってみようということになるのです。

 大阪・天満宮を舞台にした噺では「ならず者がやって来て、さあそこに飛び出してきた女中お伝。何をすると、ならず者の衿上(えりがみ)をつかんで肩に担いでつんでんどん。このあまと飛び掛かってくるのを、ピシャーと足を払っておいて、投げ出したものだから、ならず者の体はピューと風を切って飛んでいくと、五重塔のてっぺんに引っ掛かっちゃいました」などと、うそ八百を言っていますが、天満宮の祭りに行くと、五重塔はどの辺にあってどんな様式になっているかチェックしてきます。そんなことがもう習慣になっています。

 わたしが行く祭りは、伝統のある祭りばかりではありません。知人に石原裕次郎さんが歌った「赤いグラス」の作曲家・牧野昭一先生がいますが、7年前に北海道の東部にある中標津(なかしべつ)町に東京から移住したのです。それが縁となって、近郊のオホーツク海に面した標津町の町興しの夏祭り、町民祭り「水・キラリ」の音頭の作詞・作曲を町から頼まれたそうです。できたのが「キラリ音頭」。わたしの祭り好きを知っていた牧野先生から声を掛けていただき、この音頭を歌った金田たつえさんといっしょに、2000年の第2回から3年連続でこの祭りに参加させてもらいました。町民といっしょになって山車を引いたり、踊ったりで、もう汗まみれ。この祭り、回を重ねるごとに盛んになって道内でも評判になっているとか。わたしにとって、この祭りのもう一つの魅力は食べ物です。北海道の海の幸、山の幸の模擬店がたくさん出店していて、おいしい物好きのわたしにはもうたまらない祭りなのです。また、牧野先生の家を基点にして、近くで行われている祭りを渡り歩くという楽しみもあります。こういうことが、祭り好きの祭り好きたるゆえんと言えるのでしょう。

 

祭りでの出会いには、自分の生き方が問われる

 東京には、古い祭りがたくさんありますが、住人が少なくなってきていて、祭り自体がじり貧になってきている所があります。地方でも市町村合併で、昔から続いている町や村の祭りはどうなってしまうのか心配です。祭り好きとしては、自分たちがずっと住んできた所の祭りは大事にしてほしいのです。

 最近は世代間が断絶していて、異なる世代が直接触れ合うことが少なくなってきています。また、世の中がギスギスしてきていて、知らない人とは口もきかないような風潮です。祭りは、老若男女、知らない同士がいっしょに楽しめるものです。年寄りは昔を思い出して若返るし、子どもははしゃいでいい思い出を作っていき、更に、祭りのしきたりを教わったりしていい大人になっていくのではないでしょうか。

 祭りに魅せられることの一つに、人との出会いがあります。祭りは、氏素性とか、肩書きとか、いろいろな垣根を取り払ってくれるものですから、自分が人間としてどれだけのものかがよく分かります。よそ者として祭りに行ったときに、人と交流できるか、親しくなれるか、どのくらい地元の人たちと共感して楽しめるか。それは、今まで自分がどんな生き方をしてきたのかを問われることでもある、とわたしは思うのです。(談)

■神田 陽子(かんだ ようこ) 1988年10月真打ち昇進。得意ネタは忠臣蔵や怪談もので、このほか東西の女性一代記ものをライフワークとしている。テレビ、ラジオ、舞台と幅広く活躍。

 

 

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