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相鉄線にほぼ沿いながら多摩丘陵を下って流れる帷子(かたびら)川。そろそろ太平洋に注ぐ辺りで大都市・横浜が広がる。この流域は一時期、捺染(なっせん)工業が盛んだった。捺染は押し染めとも言って、絹布に色糊(のり)で模様を印刷する染色方法である。その技法を使った“横浜スカーフ”は、かつて生糸そのものと合わせて日本の主力輸出品だった。多い時は、横浜港から年に1000万ダース(横浜繊維振興会調べ)も欧米に出荷した。
絹(シルク)は蚕の生糸で作られる。生糸の主産地は群馬、栃木、埼玉、長野で、東京・八王子に集荷され、約40km先の横浜へ運ばれ、フランスのリヨンなどへ輸出された。このルートが日本のシルクロード“絹の道”である。今の生糸生産国は中国、ブラジルなどで、日本はすっかり衰退してしまった。しかし、皇后美智子様が皇居内紅葉山で育成されている「小石丸」という蚕の品種が話題になり、伝統継承のあり方が問われている。小石丸は正倉院宝物染織品復元に欠かせない蚕である。それはともかく、蚕というとスカーフの華やかな色合いと軽い手触りを懐かしく思い出す女性は多いはずだ。
横浜駅には相鉄、京浜急行、東急、市営地下鉄、みなとみらい線、JRの6本が乗り入れている。相鉄だけで一日乗降人員は約44万人。最近は、東口開発も進み、集客力を増している。駅を挟んだ東西の商圏拡大をめぐる競い合いは、横浜のブランド性を高める相乗効果を生んでいる。
大正6年創業の相鉄線(当時の名前は神中鉄道)は、西の厚木方面から建設された。平沼橋〜横浜間の着工は、昭和8年(1933年)5月で、同年12月に横浜駅への乗り入れ、駅開業を実現した。横浜は戦災で焦土と化したが、復興後の繁華街も桜木町駅最寄りの伊勢佐木町辺りが中心で、横浜駅周辺はそれほどでもなかった。
昭和30年代に入って、相鉄の西口開発が本格化した。高島屋との連携を強め、総合繁華街構想を軌道に乗せる一方、沿線に大規模住宅地を開発、商圏機能の確保を図った。40年代から50年代にかけて駅周辺にショッピング施設の相鉄ジョイナスなどが出来上がった。駅上部整備工事も昭和53年に完成、ここで“横浜の繁華街は西口”と言われるような姿になった。その後、経済成長の波に乗って、東口にそごうなどが進出、以前とは違って単なる乗り継ぎ駅ではなくなった。
ところで横浜は再来年の2009年に横浜港開港150周年、フランスのリヨン市との姉妹都市締結50周年を迎える。それぞれの意味合いは異なるが、次の発展を期すきっかけになる。「リヨンとの交流では、バイオテクノロジー、IT技術を通じた新たな友好関係を深めている」(横浜市国際室)という。“横浜スカーフ”で培われた絆(きずな)は、現在新たな展開をみせているようだ。
そんな横浜の起源は、11世紀にまで遡(さかのぼ)るという。桓武平氏の子孫が支配していたそうだ。しかし、地名由来は定かではない。横浜市歴史博物館の説明も「元町辺りから県庁付近まで砂州(浜)が横に出来ていたためらしい」と言葉少ない。 |