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北口広場に6面の花畑が並んでいた。ペチュニアなどの草花が日差しをうけて揺れている。今年で2回目の“花いっぱい野外ギャラリー”で、小中学生やボランティアが手間隙(てまひま)をかけて育てている。植栽期間は3月から9月中旬までの半年間。昨年の3倍の長さだ。「平成21年の横浜開港150周年と瀬谷区制40周年の記念事業です。瀬谷産の農作物も入れて、農業に関心を持ってもらう考えです」と、同区のまちづくり調整担当者は言う。田園風景を残す土地柄ならではのアイデアだ。
瀬谷駅は、南北に異なる表情を持っていた。南側は、古いアーケード付きの名店街など3つの商店街が接近して並ぶ。住宅街は、少し離れた一帯に区役所、警察署などを含めて広がっている。北側の町づくりの様子と少し違う感じだ。
駅開業は、東隣りの三ツ境駅と同じ大正15年5月。もっとも現在のようにいくつかの店舗を置くスタイルになったのは昭和47年になってからだ。
西側に環状4号線、地元の人には“海軍道路”と言ったほうが分かりやすい道路が南北一直線に延びている。北方向3キロメートル先で八王子街道(国道16号線)にぶつかるが、太平洋戦争中に瀬谷駅から上瀬谷原の横須賀海軍資材集結所(現在の米軍上瀬谷通信施設辺り)を結んでいた鉄道の線路跡である。平和な時代を迎えた今は、樹齢70年以上の約550本の桜並木で知られている。たまたま出会った花見客の子どもが海軍道路本郷橋という標識を見ながら、「エーッ、海軍だって」と驚いた。祖父母らしい人が太平洋戦争の話をすると、「マジで」と声をあげていた。
瀬谷八福神を巡るコースがある。七福神に達磨(だるま)大師を加えたもので、八の字の末広がりの芽出度(めでた)さを兼ねたのだろう。駅の南北に4カ所ずつ散在していた。いくつかお参りした。大黒尊天の妙光寺は、弘安5年(1282年)、日蓮上人が身延山から池上(現在の東京都大田区内)へ向かう途中で止宿(ししゅく)した寺である。創設は飛鳥時代の庵(いおり)。やがて天台宗の寺になったが、日蓮に教化された住職は日蓮宗に改宗した。梵鐘(ぼんしょう)は中世のもので、太平洋戦争の供出義務も日蓮ゆかりの鐘として免除された。
毘沙門天(びしゃもんてん)の徳善寺は、道元禅師開祖の曹洞宗。深い緑のなかに“義民の碑”がある。江戸時代の年貢は、田は米、畑は米の値段より大幅に安い現金で納めていた。明治時代になると地租改正で、すべて現金納税制になった。しかも作物の豊凶に無関係の定率制。瀬谷一帯の農民は反対の意思を裁判所に訴え続けた。その活動を顕彰した“建功之碑”である。弁財天の宝蔵寺近くに小さな鷹見塚がある。江戸時代の将軍が鷹狩りに使った所で、案内板に「世野(せや)の原」と書いてあった。瀬谷は「峡谷」を意味するというが、連想していくと、地名に歴史の面白さを感じる。
八福神に加えられた達磨禅師の長天寺は、瀬谷小学校の隣りにあった。ここには明治22年5月から大正5年まで、当時の市町村制公布で誕生した瀬谷村 役場が置かれていた。境内は静寂そのもので、達磨禅師の像が一点を睨(にら)んでいた。 |