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 駅舎を挟む東西プロムナードで、毎月第3土曜日の6時から16時まで“古民具骨董(こっとう)市”(雨天決行)が開かれている。訪ねた5月19日は昼前に天気が回復、約200店が並んで大賑(にぎ)わいだった。今年で10年目になる。目利きに自信のありそうな人、買う気のありそうな人と、売らんかなの店主との間のやり取りは、そばで聞いているだけで楽しい。厚木飛行場基地が近いせいか外国人の姿も見えた。片言日本語の女性がぐい飲み猪口(ちょこ)を買う場面では、周りの客が買い手側について店主をやけっぱちにさせていた。

 駅には、東西にルートを延ばす相鉄と、南北に走る小田急江ノ島線が乗り入れている。相鉄のホームは地下部、小田急のホームは高架上。構内は週末のイベントと重なって、一層、活気を感じた。そのうえ近くの自然公園“泉の森”へ向かう人たちが目立った。森は東京ドームのほぼ10個分に相当する広さで、草花や野鳥観察にも格好の地。大和水源地などもあり、憩いの場として申し分ない。どうりで骨董市を横目に森への道を急ぐ人が多いわけだ。

 駅周辺のイベントといえば記憶しておきたいものがある。毎年7月の最終週末に催される東プロムナード側の神奈川大和阿波(あわ)踊り(金、土、日)と、西プロムナード側の風鈴祭り(土、日)で、夏の風物詩としてなかなかの評判だ。

 東西のプロムナードは相鉄線の地下化でできた。昭和61年、相鉄は全長1,640メートルの連続立体交差工事に着手、約70%を地下化して平成7年に全工事を終えた。その間の平成5年から同社初の地下ホームを使用開始し、翌6年に新駅舎が完成した。同時に踏切6カ所が廃止され、街の様子は一変した。

 大和駅の開業は大正15年5月で、前身の神中鉄道の時代。昭和4年に小田急江ノ島線が開通して2つの駅となった。駅名には言うまでもなく地名を採用した。

 地名の由来を追うと、いま話題の町村合併劇の前例をみる思いがする。明治22年に当時の下鶴間、深見、上草柳、下草柳四村が合併して鶴見村になった。ところが異議ありの声が続き、改めて明治24年9月に「和を持って大同団結」の意味を込めて大和村と改称した経緯がある。

 近年になってまた揺れた。平成12年、大和市の呼びかけで全国の大和町、大和村12市町村が“まほろば連邦”を結成した。同じ県内の自治体は一つもなかった。そのためか情報交換などの交流が盛んに展開された。しかし、最近の全国単位による町村大合併劇で、メンバーは大和市と宮城県大和町、奄美大島の大和村の3カ所だけになり、平成17年に役目終了の形で解散した。

 大和駅の東プロムナード先に深見神社、仏導寺が並んでいる。このうち神社は10世紀の延喜式神名帳にも記載されており、境内に市指定重要文化財の社号標や天然記念物のハルニレの木がある。ハルニレは“なんじゃもんじゃの木”の愛称がある。高さ30メートル、樹齢400年の巨木だ。そこから地下線に入る相鉄線を跨(また)いで北へ向かうとぶどう園がある。8月には大和ワインの原料となる巨峰の房が直売される。また駅の南方向にも引地台公園や久田緑地などがある。南北に細長い市域には、歴史散歩を楽しめる所も数多い。

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