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目標の達成と喪失の中で決意した退社 |
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わたしの子どものころのあこがれは、テレビドラマで見た事件記者でした。わたしの父親は、自由でアウトローな雰囲気の事件記者とは正反対の、酒もタバコもやらないマジメな公務員だったからです。今から振り返ればとても良い父親でしたが、子ども心に「この人の人生、面白いの?」という思いがありました。そうした思いを抱いたまま成長し、大学卒業後は新聞社に就職しようと考えたのですが、試験がうまくいきませんでした。そして、たまたま求人募集の告知を目にした吉本興業に入社することになったのです。
第1志望ではないからというわけではありませんが、イヤなことがあったら辞めようと常に考えていました。会社と社員の関係は五分五分で、「給料をもらうのではなく、稼いだ分の一部を受け取るのだ」という意識があったのです。だから、横山やすしさんと西川きよしさんのマネージャーを8年半務め、信頼関係も築けてきたというところで会社から別のタレントの担当に回されたときも辞めようと思いました。東京事務所を開設して軌道に乗せ、「さあ、これから」という段になって「大阪に戻れ」と辞令を受けたときも辞めようと思いました。でも、辞めなかったのは、お笑い芸人の地位を向上させたい、吉本興業をもっとメジャーにしたいという夢があったから。そうした夢がおおよそかなったかなと思ったのは、わたしが56歳のときでした。
その時点で常務取締役になっていましたし、65歳くらいまで会社に残ることも可能だったと思います。でも、夢も目標もないまま10年近くを過ごす自分自身を想像すると、子どものころに父親に抱いた気持ちではありませんが、「その人の人生、面白いの?」と感じたのです。何より、そんな目標を失った人間がぶら下がり続けることは、会社にとってもいいわけがありません。そこで、自分の今後の人生から会社という存在を外し、一個人として生きようと考え、退社することを決意したのです。
わたしが近しい人間数人に「辞めようと思う」と告げると、みんな口をそろえて「準備してから辞めろ」と言いました。わたしが新たに芸能プロダクションでも起こすと考え、まずその準備をしてから辞めろと言うのです。でも、そんな気は全くありませんでした。わたしが吉本興業を辞め、数人のタレントや社員を引き連れて独立しても、AからA'に変わるだけです。それまでと同じような仕事をやることになるし、しかもスケールダウンしてしまいます。それならば辞めずにいた方がよほどいい。そうではなく、わたしはただ辞めることを決めただけだったのです。辞めてから何をするか、何をやりたいのかといったことは、後からゆっくり考えようと思っていました。
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| 培ったスキルを生かし、人々に元気を |
いざ会社を辞めて勤めた33年間を振り返り、「自分のスキルは何だろう?」と考えました。わたしが仕事を通じて学び身に付けてきたことは、一言で言うと人のマネージメントやプロデュースをすること。それまでは芸能界で人を育てたりモチベーションを高めたりといったことをしてきましたが、そうした能力は一般の世界でも役立てることができるのではと思いました。一方で、わたしが退社したのは2002年ですが、今以上に不景気というか先行き不透明な時代状況で、世の中全体が元気が無いように感じていたのです。そこで、僭越(せんえつ)ながらわたしなりのやり方で世の中の人々に元気を与えられるようなことをやろうと、2003年に「有名塾」をスタートさせました。
有名塾は、話し方などのカリキュラムもありますが、講師が一方的に教えるのではなく塾生からの提案も受け入れながら授業を進めていく、いわば双方向型の人間力養成講座です。現在までに九期を終え、卒業生は550名を超えました。18歳以上であれば職業や肩書きは不問で参加を募っていて、フリーターから弁護士、演歌歌手までさまざまな職種の人の交流の場となっています。有名塾では悩んでいる人にアドバイスをして方向付けをするなどの指導を行っていますが、そうしたことを行う中で感じたのが50代の人の悩みの深刻さです。
若い子も若い子なりに真剣に悩んでいるのでしょうが、わたしから見ると「自分探しの前に、もっとすることがあるだろう」といったようなことが多い。でも、50歳から60歳くらいの、特に男性の悩みはとてもシリアスで切実でした。わたしは早期退職の経験者ですから、会社を離れた生き方の楽しさを伝えることができます。また、有名塾を始めた時点でわたし自身も60に手が届く歳になっていましたから、自分と同世代の人たちに元気であってほしいという思いもありました。有名塾の定員は50人から100人ほどですが、もっと多くの5、60代の人にエールを送りたいと思い、いわゆる団塊世代に向けたフリーペーパーの創刊を決めたのです。
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| 50代以上を活性化する5つの「l」 |
わたしは「シニア」という言葉が好きではありません。関西出身のわたしの耳には「死にや」と響くし、言葉遊びが過ぎるかもしれませんが、「死ニアー(死が近い)」とも取れる。どこかしらネガティブなイメージを感じるのです。そこで、自分を含めた50歳から60歳の人を指す新しい言葉なり概念をと考え、2005年に創刊したフリーペーパーのタイトルを「5l(ファイブエル)」としました。これは、人生が10リットルだとすると、50代はまだ半分の5リットルだという意味です。さらに、5つの「l」は「liberal」「laugh」「love」「link」「live」を表し、「寛大な気持ちで、笑い、恋をし、人とつながり、いきいきと人生を過ごそう」というメッセージを込めました。
一昔前までは人生50年でしたが、今は人生80年の時代です。例えば、「磯野波平(いそのなみへい)」は設定上、54歳ですが、「島耕作(しまこうさく)」は2007年に還暦を迎えました。2人の枯れ具合みたいなものを見ると、時代の違いがよく分かると思います。たとえ60歳で定年を迎えたとしても、まだ残り20年ある。小学校入学から大学卒業まで16年かかりますが、それよりも長い年月が残されているわけです。それなのに、人生がほとんど終わったような気分になって余生モードに入ってしまうのは、とてももったいないことではないでしょうか。
ある新聞が20代の若者を対象に「日本という国は何歳に見えますか?」というアンケートを行ったことがあります。1位が50代、2位が60代で、1位と2位で回答数の60パーセントを占めました。でも、実際の日本人の平均年齢は40代前半です。つまり、若い人たちには日本という国が老けて見えているわけで、とても残念なことだと思いました。5、60代の人が積極的に活動していれば、若い人にも希望を与えることができます。でも、現状はそうなっておらず、5、60代の人も元気が無いし、若い人も元気が無いという悪循環に陥っている。日本全体をエネルギッシュにするためにも、5、60代の人はまだたそがれている場合ではないと、わたしは思います。
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| 50歳を過ぎたら考えるべきこと |
数年前、倒産した一流証券会社の部長さんが再就職活動を行っている場面をテレビで見掛けました。職業斡旋(あっせん)所で「あなたは何ができますか?」と聞かれ、その方は「部長ならできます」と真顔で答えていました。ギャグみたいな話ですが、そういう人が意外に多い。わたしも名刺交換をした際、「元●▲物産」と記された名刺をいただき、わが目を疑った経験があります。
広い意味で、誰もが世の中の一員なわけです。でも、長年会社に属していると、その企業の囲いの中だけが世間のすべてだと思い込んでしまいます。そして会社を辞めて囲いが無くなっても、より広い世の中の一員であることを思い出せなくなってしまう。その典型が、「特技:部長」や「元●▲物産」といった方々です。わたしは56歳で会社の囲いを取った際、「今まで以上に広い世界が待っている」と感じました。囲いが無くなる日が来ることすら考えていない人は論外ですが、囲いを取ることを可能性ととらえるか、不安に思うかで、その後の道のりも大きく変わってくると思います。
わたし自身もそうでしたし、退職した人は誰もが経験することだと思いますが、会社を離れるとお歳暮や年賀状の数が確実に減ります。それは、会社名や肩書きと付き合っていた人が離れていくからです。わたし自身は年賀状の数が減ってもショックに感じませんでした。むしろ、人間関係の在庫一掃セールができたと考えたほどです。そして、退職して5年経(た)ち、吉本興業に勤めていたころよりもたくさんの年賀状や贈り物をいただくまでになりました。これは吉本興業という看板ではなく、素のわたしとお付き合いしてくれる方が増えた証だと自負しています。
今は倒産やリストラなどで突然、一方的に退職させられることも多く、わたしのように自主的に退職できるのは幸せなケースなのかもしれません。でも、「もし今、会社を辞めたら何ができるだろう」とシミュレーションすることは今すぐできると思います。また、会社に勤めている、いないにかかわらず、自分が何年後に60歳を迎えるのかは誰もが把握していることです。それにもかかわらず、58歳くらいまでは「自分は会社人間だから」などと悠長に構えていながら、59歳になって急にあわてふためく人が少なくないように見受けられます。遅くとも50歳を過ぎたら、会社の囲いを外した素の自分は何ができるのか、60歳を迎えたら何をしたいのかといったことをイメージトレーニングしておいた方が賢明でしょう。
有名塾や講演会などで5、60代の人と接すると、「いや、自分なんて」と腰の引けている人が必ずいます。でも、例えば55歳なら55年間生きて蓄積してきたものがあるわけで、何かしらその人なりの能力もあるはずです。本人も気付いていないのか、出し惜しみしているのか分かりませんが、その能力を発揮しない手はないと思います。
総体的に、若いころは自分を楽しませるため、喜ばせるために生き、歳(とし)を重ねるとともに家族や会社のため、他人のために生きるようになります。でも、50歳を過ぎたら今一度、自分を楽しませるための生き方に立ち返ってもいいのではないでしょうか。自分のためにしたことが、結果的に社会のためになればいいのです。どんな人にとっても、人生の主人公は自分自身です。イヤな人がいたら「自分を目立たせる脇役が登場した」と思えばいいし、ハプニングが起きたら「ストーリーが盛り上がる」ととらえればいい。主役が笑っていれば、おのずとハッピーエンドに向かっていきますから。(談)
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きむらまさお■1946年、京都府生まれ。大学卒業後、吉本興業に入社。横山やすし・西川きよしのマネージャーなどを務めた後、同社の全国展開を推進。2002年に退職。現在はフリープロデューサーとして、講演・執筆活動、テレビ・ラジオ出演などのかたわら、さまざまな活動を展開。団塊世代向け雑誌「5l(ファイブエル)」の編集長も務めている。
http://www.km-jimusho.com/ |