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「細かな点にまで気を使って価値を追求すること」という意味合いで使われているこだわり。でも、本来は「ささいなことを必要以上に気にすること」という意味なのです。こうした昨今の言葉の変わりようなどについて、このページでは少しだけこだわって考察していきます。
[第5回] 「2007年が明ける」と「2008年が明ける」は同じ意味?
ことばの問題
Q
.次の例文のうち、正しいのはどちらでしょうか?
A 「違和感を感じる」
B 「違和感を覚える」
※答えはこのページの下に掲載しています。
この時期は多くの場所で、「明けましておめでとうございます」という言葉が言い交わされていると思います。ところで一体、何が明けたのでしょう? 旧年が明けて新年になるのだから「旧年が明けた」とも考えられますし、「新年明けまして」という言い方があることからすると「新年が明けた」と考えることもできます。でも、「2007年が明ける」にしろ「2008年が明ける」にしろ、意味は同じものになるのです。
例えば、「夜が終わって朝になる」という意味で、「夜が明ける」とも「朝が明ける」とも言います。「夜」が「明け」た結果として「朝」になるわけですが、主語の部分に「明ける」という現象の主体である「夜」が来ても、現象の結果である「朝」が来ても同じ意味の表現が成立するのです。なお、この「朝」に該当する語を「結果主語」などと呼ぶことがあります。例えば、「湯が沸く」という言い方はおかしく、正しくは「水が沸く」ではないかと理屈を言う人もいるかもしれません。でも、この場合は「湯」が結果主語となっており、日本語としてなんら問題ありません。
以上は「〜が」についてでしたが、「〜を」についても同様の例が数多くあります。ボールを打つことはできてもホームランという結果を打つことはできないはずなのに、「ボールを打つ」とも「ホームランを打つ」とも言います。地面を掘ることはできても穴を掘ることはできませんが、「地面を掘る」とも「穴を掘る」とも言います。「米を炊く/飯を炊く」や「毛糸を編む/手袋を編む」なども同様です。結果を主語や目的語にする言い回しは冷静に考えると頭が混乱しそうですが、日本語に限らず英語にも中国語にもある言い方です。
では、「犯罪を犯す」や「遺産を遺す」という言い方はどうでしょう。これは同じ意味の語を重ねる「重言(じゅうげん)」にあたり、避けるべきだと考える方がいるかもしれません。でも、「犯罪」や「遺産」が結果目的語となっていると考えれば、重言とはいえ、特に問題のない言い方ということになります。それでは「頭痛が痛い」はどうかというと、「頭痛」を結果主語ととらえることもできなくはない。ただ、こう言われた相手が頭痛になりかねないので、素直に「頭が痛い」と言った方が無難でしょう。(談)
ことばの問題
A.
正解は、AとB(どちらも間違いではありません)。
【解説】「違和感を感じる」という言い方に「違和感を覚える」人は少なくないかもしれません。ただし、重言は「同じ意味の語を重ねて使う」言い方で、主語と述語が全くのイコールで結ばれるような表現です。ですから、「感じを感じる」は問題ですが、「違和の感じを感じる」というのですから不自然ではありません。
また、述語を「覚える」に置き換えたところで、意味合いとしては「感じる」と同様で、あまり違いはありません。
きたはらやすお■筑波大学名誉教授(前学長)。独立行政法人日本学生支援機構理事長。多くの辞典の編纂(へんさん)に携わっているほか、「問題な日本語」(大修館書店)などの編著書も多数。
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