>>瓦版トップ >>175号トップ >>特集 ワンランク上の贈り物
Illustration:Ishibashi Fujiko
 わたしのレシピ集を読んだ母から、「わが家では、こんな作り方をしなかったわよ」と感想をもらされることがあります。確かに、母から手取り足取り料理を指南されたわけではないので、それも仕方ありません。あくまでも、わたしはわたしなりの作り方で料理をしているのですから。ただし、作り方は自己流でも、わたしの料理のベースとなっているのは子どものころに親しんだ母や祖母の味です。それは料理に限ったことではなく、母や祖母から受けた何とはなしの影響が今もわたしの生活全般に息づいています。

 そうしたことの一つが、手みやげの習慣です。祖母が小唄の師匠をしていたこともあって、わが家にはいつも多くの人が出入りしていました。手みやげをいただいたり、帰り際に何かをお渡ししたりといったことが日常的にあったのです。料理同様、母や祖母から手みやげのしきたりを教わったわけではありません。それでも、いつしかわたしにも手みやげの習慣が自然と身に付き、よそのお宅を訪ねる際は何かしら持参するようになったのです。

 そんなわたしなりの「手みやげ論」のようなものを1冊の本にまとめ、今年の3月に上梓(じょうし)しました。そういうと、まるで手みやげの達人や贈り物のエキスパートのように思われるかもしれません。でも、いまだに至らないことが多く、手みやげ片手に冷や汗を浮かべることもままあります。ただ、開き直るわけではありませんが、そうした失敗を繰り返したからこそ、わたしなりの「手みやげ論」ができたのだと思っています。

「つまらないもの」でつまらない思いを
 時間がなく、たまたま目に入ったお店で購入した和菓子を手に相手先を訪問したときのこと。当然、その和菓子にたいした思い入れもなく、わたしは言葉に困って「つまらないものですが」と口にしてしまったのです。「失礼なことをしているな」という引け目をひしひしと感じた瞬間でした。手みやげを渡す際、まるで決まり文句のようについ口にしてしまいがちな言葉が「つまらないものですが」です。でも、せっかくの手みやげにこの言葉を添えることが、わたしには失礼に思えてなりません。

 「つまらないもの」などと言ってつまらない思いをするくらいなら、潔く手ぶらで出向く方がよほど誠実ではないかと思うようになりました。自分が手みやげをもらう立場になってみると、品物も大切だけど、そこに添える言葉も決しておろそかにできないことに気がついたのです。添えられる言葉がいい加減だと、「慌てて選んだな」といったことも伝わります。最近は、本当に時間がないときは無理をして結果的に礼を失するくらいならと考え、手みやげを持っていきません。その場では「手ぶらですみません」と素直に謝り、あらためて後日、自分の思い入れのある品物にお礼の言葉などを添えてお贈りするようにしています。

 言葉を添えるのは、手みやげだけに限りません。お歳暮なども、手紙を同封したり別送したり、あるいは先方に届くころ合いを見計らって電話をかけるようにしています。お歳暮などを贈る相手は、遠くに住んでいたりしてなかなか顔を会わす機会のない人が少なくありません。だからこそ、ただ品物を贈って終わらせるのではなく、きちんと言葉を交わすことも大切ではないかと思っています。

手みやげに添えて届ける自分の気持ち

 わたしの手みやげや贈り物の基本は、自分の思い入れのある品に言葉を添えて届けること。とはいっても、初めて会う人に手みやげを持参する際などは相手の趣味や好みが分からないので、あれこれと頭を悩ませます。そこで、そうした際にも困らないようにと、わたしは自分の定番を2、3品決めておくようになりました。それは特に高価なものではありません。ふだんから自分が口にしている好物だったり、地元のものだったり。3年ほど前に海の近くに越してからは、近所で手に入る新鮮なシラスなどがわたしの定番品として手みやげに重宝しています。

 そうした品であれば、会話のきっかけとして「わが家みんなの好物です」「手みやげはコレと決めています」などと語ることができます。自分の人となりを知ってもらうことにもなるし、地元産のものを渡すことは自己紹介にもつながるでしょう。少なくとも、自分の思いや気持ちが込もっている品であれば、「つまらないもの」などと口走る心配はありませんから。

 最近は、「誰それさんオススメの一品」などといった手みやげや贈り物に関する情報をよく目にします。そうしたものを否定する気はありませんが、情報だけを頼りに品物を選ぶのはとてももったいない気がしてなりません。手みやげも贈り物も、どう選ぶかが大切。「誰それさんオススメの一品」であっても、せめて一度は自分で口にして判断することが必要ではないでしょうか。そういった選ぶ過程も、わたしにとっては手みやげや贈り物の大きな楽しみなのです。

 手みやげや贈り物に言葉を添えるのは、その品物にわたしの気持ちを託したいから。相手の方のことを思い浮かべながら贈り物を選んだり、ふろしきやリボンで自分なりに包み方を工夫したりすることが、わたしには心から楽しいと思える時間です。そして何より、そうした気持ちも相手に届けたいと考えているのです。それはもらう立場のときも同様で、品物だけでなく、その人の気持ちもありがたく受け取りたい。初めて会う人、友だちや家族、お世話になった人など手みやげや贈り物をする相手はさまざまですが、いずれの人とも温かい気持ちのやり取りができればと願っているのです。

花が要らない人、手みやげ要らずな人
 以前、パリであるご夫婦と知り合いになりました。そして、奥さまと待ち合わせをして、お宅へ向かう途中でのこと。手みやげを買おうと花屋の店先で足を止めてあれこれ選んでいたわたしに、奥さまが言いました。「わたしの夫は画家で、うちにはキレイな絵がたくさんあるの。だから、花は飾らないし、要らないわ」と。

 若いころのわたしには花束は無難な手みやげ、「喜ばない人なんていないだろう」と思い込んでいたのです。なので、その奥さまから言われた言葉に驚きました。でも、考えてみれば当然のこと。花を飾る習慣がない人には、花束はじゃまなだけです。相手の趣味嗜好(しこう)に沿わない一方通行の手みやげは迷惑なのだと、そのときに学びました。以来、手みやげにしても贈り物にしても、相手の迷惑や負担にならないものを選ぶという、当たり前のことに気を付けるようにしています。

 親しい人の場合には事前にリクエストを聞くこともあります。例えば、お年寄りには和菓子だろうと決めつけてお持ちし、「またか」といった顔をされたことが何度かありました。それで、よくよく耳を傾けてみると、意外にも若い人が好むようなアイスクリームや、はやりのお店のケーキなどを所望するお年寄りが少なくありません。そうしたことから、「お年寄りだから」などと固定観念や一般的なイメージに凝り固まっていた自分を反省し、相手の方のリクエストを尊重するようになりました。

 また、品物どうこうではなく、手みやげそのものを必要としない人もいます。長野に暮らす友人の叔母さまも、そんな手みやげ要らずの一人です。彼女は「他人の作ったものを口にしたくない」という考えの持ち主で、それだけに料理の腕前も相当のもの。友人がフランスみやげのマロングラッセを贈ったところ、「わたしが作った方がおいしいわ」と言われたというエピソードもあるのです。そこで、わたしは彼女を訪ねるに際し、「食べ物でなければ、手みやげは何がいい?」と慎重を期して電話で尋ねます。でも、彼女の返事は「いろいろと好みもあるし、要らないわ」というつれないもの。しぶしぶ手ぶらで長野へ向かうことになります。

 こう言うと、その叔母さまは偏屈な人だと思われるかもしれません。でも、彼女はとても気さくな人柄で、わたしが訪ねるといつもたくさんのおいしい料理とともに歓待してくれます。ただ、彼女にとっては手みやげや贈り物が迷惑というか不必要なのです。なので、訪ねる際は「わたし自身が手みやげ」だと考え、とにかくおなかをすかせて行くことだけを心掛けています。

自分ありきのワガママな「楽しみ」
 料理家としてあるまじきことだと思われるかもしれませんが、わたしは「面倒だな」と感じた日は料理をしません。そんな日は、さっさと外食に切り替えます。「料理を楽しみましょう」といった趣旨の雑誌などに登場することも多いし、実際、多くの人に料理を楽しんでほしいと思っています。でも、長年主婦をしていると、家事全般を投げ出したくなる日もあるし、「料理を楽しむだなんて、とても無理」という日もあります。それでも、喜んで食べてくれる家族がいるから料理を作る気力もわいてくるし、「料理って楽しい」と思えるときもあるのです。

 手みやげや贈り物も同じではないでしょうか。わたしは多くの人に手みやげを気軽に楽しんでほしいと思っています。でも、義務感のように感じたり、「楽しまなきゃ」などと必要以上に力んだりしてほしくありません。面倒だったら贈らない方がいい。嫌々作った料理があまりおいしく感じられないように、気持ちの込もっていない手みやげや贈り物は相手の心にそれほど響かないでしょう。当然ですが、「しなければいけない」からするのではなく、「したい」という気持ちがあって初めて手みやげや贈り物をするのですから。

 わたし自身、手みやげやそれに託した自分の気持ちが相手の負担にならないようにと気を使ってはいますが、まずは自分ありきです。「おいしいから食べて」と押し付けるように手みやげを渡していることもあるかもしれません。でも、「おいしかった!」と言われ、自分の気持ちが相手に届いたことが実感できるとまんざらでもない。そうしてまた、おいしいものや面白いものを見つけると、「迷惑かな」「おせっかいかしら」などと思いつつ、いそいそと手みやげを手に出掛けてしまうのです。考えてみると、「夫や娘のため」と言いつつ、気がつけば自分の食べたい料理を作っていることもしょっちゅうです。手みやげや贈り物も「したい」という気持ちから出発する以上、礼を失しない範囲で、もっとワガママに楽しんでいいのではないでしょうか。(談)

ひだかずを■1964年、東京都生まれ。20歳まではバレリーナとして舞台に立ち、以後、OL、ライターを経て、料理家に。「飛田和緒のひとりごはん日記」(講談社)、「飛田和緒のかぞくごはんその後」(小学館)、「お嬢様の手みやげ 飛田和緒の気持ちを伝える心がけ」(WAVE出版)など、料理本からエッセイ集まで著書多数。
http://www.okazu-web.com/

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