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>>こだわりの日本語
「細かな点にまで気を使って価値を追求すること」という意味合いで使われているこだわり。でも、本来は「ささいなことを必要以上に気にすること」という意味なのです。こうした昨今の言葉の変わりようなどについて、このページでは少しだけこだわって考察していきます。
[第15回] 「みたいな」とか「的」とか、なにげにどっちつかず?
ことばの問題
Q
.次のうち、正しいのはどちらでしょうか?
A 「仲間は三人くらいです」
B 「仲間は三人ぐらいです」
※答えはこのページの下に掲載しています。
若者を中心とした言葉遣いの乱れの話になると必ず話題に上るのが、標題にある「みたいな」や「的」などの「ぼかし表現」です。お昼に何を食べたいかと聞かれ、「わたし的には、なにげにパスタとか食べたいっていうか」などと答える。ここまで極端でなくとも、若者同士の会話に聞き耳を立ててみると、「ぼかし表現」の多さには驚かされます。
総じて「ぼかし表現」は、強い調子で相手に意見や情報を伝えることを避けているわけです。使っている本人は無意識かもしれませんが、相手に対する思いやりだと解釈できなくもありません。こうした好意的ともいえる解釈に対し、「ぼかし表現」は無責任でいい加減だと非難する人も少なくありません。でも、そんな人も自身の日常会話を思い返してみると、意外に多くの「ぼかし表現」を口にしていることに気付くのではないでしょうか。
肉や野菜などを買いに行くと、まず店側から「どれくらいですか?」や「いかほど?」と聞かれます。これに対し、客側も「五百グラムくらい」や「三つほど」などと答える。あるいは居酒屋などで同行の人数を聞かれて「三、四人ぐらいです」と答えたり、客をもてなす場でお茶しか用意していないのに「お茶などいかがですか」と伺いを立てることもあるでしょう。わたしは仕事柄、官庁の文書に目を通す機会が多いのですが、頻出する表記の一つに「〜等(とう)」があります。
注意を傾けて見聞きしてみると、日本語の会話や文章には多くの「ぼかし表現」がまとわりついていることが分かります。時には「ぼかし表現」が〈逃げ〉や〈ごまかし〉などと受け取れることもあるでしょう。でも、場合によっては〈慎み〉や〈はばかり〉などと受け取れることも少なくありません。時と場合によりますが、「ぼかし表現」がコミュニケーションを円滑にする役割を担っていることがあるのも事実です。
もちろん、冒頭に挙げた「わたし的」などの言い回しは、あらたまった場所では避けるべきです。ただ、あらゆる「ぼかし表現」を禁じてしまうと、困惑する人も多いのではないでしょうか。わたし自身、「と思います」などを使わないと苦しいときがあるので、ある程度は「ぼかし表現」に寛大な気持ちで接したい、と思います。(談)
ことばの問題
A.
正解は、AとB(どちらも間違いではありません)。
【解説】意地悪な問題で、失礼いたしました。
もともとは「くらい」と「ぐらい」には、一応の使い分けがありました。それは、体言には「ぐらい」を、コソアド系(「この」や「その」などの指し示す働きを持つ語)の連体詞には「くらい」を、活用語にはどちらも付くというものです。ただし、今では「くらい」と「ぐらい」を意識的に使い分けている人もまれでしょうし、区別なく使って問題ありません。
きたはらやすお■筑波大学名誉教授(前学長)。独立行政法人日本学生支援機構理事長。多くの辞典の編纂(へんさん)に携わっているほか、「問題な日本語」(大修館書店)などの編著書も多数。
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