 |
|
  |
 |
|
|
お茶には、品良く抹茶とお菓子をいただき、「けっこうなお味で」「お詰めは?」などと型通りの会話が交わされ、基本的に女性の礼儀作法のためにあるもの…という堅苦しいイメージを持っていました。ところが、カメラマンとして、お茶の撮影をさせていただくようになってから、茶道の世界が持つ精神性と奥の深さを知ったのです。日本にはこんなにすばらしい文化が何百年も続いているんだ、日本人でありながら知らないでいるのは何ともったいないことか! と思うようになりました。
|
| お茶を嗜(たしな)んでいる人は「何か」が違う |
お茶会やお稽古(けいこ)に来られる女性を見て、まず気付いたのは、肌がとても美しいことでした。若い方はもちろん、年配の方の多くが透明感のあるきれいな肌をしているのです。そしてみなさん、いきいきとして元気がよく、健康的だったので、仕事の合間に「どうしてそんなに肌がきれいなのですか? 化粧品は何か特別なものを使ってらっしゃるのですか?」と、私(わたし)も一人の女性として思わず聞いてしまったほどです。
「だって抹茶を毎日いただいているんですもの。抹茶は本当に体にいいんですよ」
と、少し恥ずかしそうに答えてくれました。いいえ、決して抹茶の成分のせいだけではないはずです。みなさん、お茶の席では凛(りん)とした静けさを持っていますが、普段はいきいきとして、とにかく明るい。茶会の雰囲気を壊さないように、かなり緊張して撮影していた私は、みなさんの明るさと優しさにいつも助けられました。
美しさというのは、外面と内面からくる総合的なものだ、ということをしみじみ感じたのです。そしてお茶を嗜んでいる人は「何か」が違う、そう感じるようになってきました。
お茶を始めるといろいろなことが覚えられます。
まず自分で着物が着られるようになり、それに合う髪型も短時間で上手にまとめられるようになるといいます。そしてなんといっても姿勢が良くなるのはすばらしいことです。私は姿勢が悪く、周囲からよく注意されていました。他人が撮ってくれた自分の写真を見て、想像以上の姿勢の悪さにショックを受けたことがあります。そして本気で直そうと思いました。
どこか素敵だな、と思う人は男性も女性も背筋がピンと伸びていて、物腰が柔らかい感じです。どんなにオシャレをしてメイクを決めていても、姿勢が悪ければ台無し、といっても過言ではありません。姿勢が良いとそれだけで、高価な衣装をまとっていることと同じですし、オシャレは更(さら)に引き立ちます。それが無意識に身に付いていたらこんなにいいことはありません。そういう人は人前だけでなく、一人の時も姿勢はきれいなはずです。
点前(てまえ)をしている時、背筋を伸ばしてあごを引き、手元を見過ぎないようにします。お茶を点(た)てながら客の様子や流れを意識します。美しい姿勢のまま、空間を認識しながら自分の仕事にも集中できるようになるそうです。
|
| その心を知る |
茶道には型があります。華道も武道も「道」が付くものには必ず型はついてきます。確かに覚えるのは大変そうですが、なぜそうするのかを理解すれば、意外とスッと頭に入るような気がします。お茶をいただく時、茶碗(ちゃわん)をまわしてから口をつけますが、茶碗にはそれぞれ「顔」があるのです。作者の印や模様、手のひらの収まりの良さなど、一番いい「顔」が茶碗の正面になります。お茶を出す時は客に正面を向けて差し出します。
客は亭主*1の茶碗の一番いい「顔」に口をつけず、茶碗をまわして「顔」を避けていただくのです。そして飲み口をさっと拭き、正面を亭主の方に戻して返します。「おもてなしの心」と「敬意の心」がこもった一つの型です。
重要なのは、どちらの方向に何回まわすかということより、その意味を理解し体で表現することだと思うのです。
*1:亭主〜茶事(茶会)の主催者。
|
| たくさんのごちそう |
それでは、茶会*2を細かくみてみましょう。茶会ではお菓子と抹茶をいただくほかにも、たくさんのごちそうがあります。茶会を開く方は、空間の美とその精神を演出し、心を込めておもてなしをしています。それを感じ取ることは何よりのごちそうだと思うのです。
*2:茶会〜流派により、その流れやしきたりなどは異なりますが、ここでは一般的なものを紹介します。
床(とこ)に掛けられた軸と花、そしてお道具の組み合わせなどもそう。茶会のコンセプトや季節に合わせた軸が掛けられます。新年の喜びを祝うものや先人を偲(しの)ぶもの、亭主の宝物などさまざまです。ほとんどがあまりに達筆で意味がよく分からないのですが、それは亭主が説明してくれます。日本人なので漢字を見て想像することもできますから、自分が思っていたのと、亭主の説明が近いものだったりすると、ちょっと嬉(うれ)しくなります。短い文字の中に込められた奥の深さに、はっとすることもよくあります。そのうち、筆の運びや力強さ、墨のかすれ具合にも心が引かれていくのです。
そして、茶花でよく見掛けるのが蕾(つぼみ)です。それは、これから開くという喜びと希望を意味し「人生はこれからですよ」と静かに語りかけているのです。釜の湯を沸かす炭の熱で部屋が暖まり、茶会の間にかたい蕾がほころんでくることがあります。それはちょっとしたハプニングでしょうが、客の表情も、幼子を見るようにほころんできます。客の目線から見て、美しく見えるように配置されているので、床という額縁に、掛軸と茶花の絵を拝見しているような気持ちになります。
お道具も全体のバランスを考え抜いて選ばれます。お道具が存在感があるものならば、軸の表装や花の色味を抑えたものにしたり、夏は涼しげなガラス製の茶碗と組み合わせるなど、亭主のセンスがものをいいます。お茶と一緒に出されるお菓子も、季節の花に見立てたものや地域限定のものなど、見た目も味もたいへん美味です。私はお茶を知ってから和菓子が大好きになりました。
よく耳にする「侘(わ)び、寂(さ)び」という言葉。外国語に訳すことができるのでしょうか。不思議なことに日本人なら何となく「感じる」ことができるのではないでしょうか。芭蕉の句にある「蛙(かわず)とびこむ水の音」や「岩にしみいる蝉(せみ)の声」という情景描写だけで、季節感や哀愁まで感じられるのは、日本人の特筆すべき感性だと思います。
お茶の世界には、そんな日本人の繊細な感性をくすぐる要素がまだまだあります。
お茶会やお稽古の時、時計やアクセサリーは外すのがルールです。茶碗などを傷つけないようにという配慮もありますが、時間を忘れ、俗世から離れた清らかな空間を共に過ごす、という意味でもあるのです。現代人の多くは過労気味であり、人間関係も複雑で心身ともに疲れています。ある若い方から聞きました。
「会社で疲れ、重い足取りで稽古に行ったのですが、集中して稽古をし、最後にお茶をいただくころには、頭がスッキリして逆に元気になっていました」
まさに時間と俗世から離れ、自分をリセットしたといえるのではないでしょうか。
|
| すべての人に通じる「おもてなしの心」 |
席主(せきしゅ)*3は軸やお道具の説明をしたり、茶会に来てくださった方々にねぎらいの言葉をかけます。招く側は花の名前から、掛物やお道具の説明ができなくてはなりません。私が最初に思っていたように、決まったセリフを言っている訳ではなかったのです。裏方の人は水屋*4で準備をしながら、お席の様子の一挙一動を確認し、点て出しのお茶を出すタイミングを見計らいます。一番おいしいお茶をおいしい時に、狭い動線の中でスムーズに出しているのです。この流れるように美しい連携プレーはお見事! としか言いようがありません。
*3:席主〜茶席の主人役。
*4:水屋〜点前の準備をする場所で、主に茶室に隣接しています。
緊張の面持ちの新人さんが、先輩の先生に「よくできたわね。がんばったわね」と背中をさすられて、思わず涙する光景に出会うこともあります。私も胸が熱くなり、レンズが曇ってしまいます。
このように、お茶は普段の仕事でも生かされるべき要素が凝縮しているといえます。
実際、企業の研修として「おもてなしの心」を学びにくる男性も増えています。お茶席でのチームワークや客への接し方、おじぎの仕方から立ち居振る舞いなど、すべてが仕事場で生かされるからです。それに、茶道は武士の間で広まったもの。男性が袴(はかま)を着て点前をする姿は、きりっとしていてそれは素敵(すてき)なのです。
お茶の世界では社会の肩書きや地位は関係ありません。大企業の社長でも入ったばかりの時は新人さんです。それまでトップに君臨していた人が、「おもてなしの心」を一から勉強し直すことになります。社会でそれなりの地位に就いて、もう一度自分を磨こうとされている方は覚悟のほどが違うのでしょうか、一本の筋が通っていてお茶に対する気持ちの深みを感じます。
お茶を嗜んでいる人は「何か」が違う。
今では当然なことに思えます。「空間の美」と「おもてなしの心」を磨き、おいしいお茶を飲んでいただくために精進しているのです。そういう方は共通して、謙虚な心を持ち続けているように思います。
|
ふじまひさこ■岡山県出身。JPS(日本写真家協会)会員。本の制作に携わった後、写真家・森日出夫が主宰するアマノスタジオに入社。カメラマンとして活動の傍ら、tvk「電車にのって」などにも出演。
http://www.amano-studio.co.jp/
|